旅のライブ情報誌 「Please(プリーズ)」4月号
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20 東松照明は昭和5年(1930年)生まれの日本写真界の巨人である。思春期に終戦の年を迎えた東松は、価値観が大変革する渦中にあって、「不信の世代」として目に見えるものだけを信じ、世に対する問いを写真の中に投じた。 基地の街やアメリカニゼーションをテーマとした作品、高度成長期の日本の姿を浮かび上がらせた「アスファルト」、新宿ゴールデン街等、東松が残した圧倒的な質量の作品群を振り返れば、東松の個人史は戦後日本史ともオーバーラップする。 昭和35年(1960年)の原水爆禁止世界大会を契機に、被爆の実情を世界に伝える『hiroshima nagasaki document 1961』(英語/ロシア語版)の刊行が、原水爆禁止日本協議会によって企画された。広島の今の姿を土門拳による「ヒロシマ」で紹介することになったが長崎の「今」がな11時02分で止まった時と、現在進行形の時長崎県文化観光国際部文=伊藤晴子Text by Haruko Ito長崎との衝撃の出会いから、「終の住処」へ。長崎に恋をした写真家つい    す み か東松照明が初めて長崎を訪れ、撮影したのは1961年。原子爆弾が投下されてから16年が過ぎていた。1945年8月9日11時02分、その決定的な時が刻印された象徴的な写真。長崎国際文化会館 1961年(2000年) 。《上野町から掘り出された腕時計》Shomei Tomatsu(1930~2012)ど もん けんとう まつ しょうめい-

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