旅のライブ情報誌 「Please(プリーズ)」4月号
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21312451《熱線と火災で溶解変形した瓶》 長崎国際文化会館 1961年(2000年)。2《浦上より岩屋山を望む》 1961年(2000年)。3《爆風により崩壊した浦上天主堂の天使像》1961年(2000年)。4東松照明愛用のニコンF。後にペリックスも愛機となる。東松は、長崎移住をきっかけとして、2002年に、早くも自身のスタジオでのデジタルプリントに切り替えた。以降カメラもデジタルスチルカメラを愛用。撮影・プリントのデジタル化により、東松作品の表現はさらなる広がりをみせた。5『hiroshima-nagasaki document 1961』。原子爆弾の被害について、広島を土門拳、長崎を東松照明がそれぞれ担当。原水爆禁止日本協議会がその有り様を世界にアピールすべく編集制作した写真集。1961年。※P20・1~3写真提供/長崎県美術館、4・5写真提供/東松泰子※作品キャプション中の( )内はプリント年。©Shomei Tomatsu-INTERFACEかった。そこで東松に白羽の矢が立ち、翌年に被爆地長崎、被爆者、被爆遺物の撮影が行われた。その時、東松は仕事として訪れた長崎に強いカルチャーショックを受ける。 「桁違いに大きい原爆の破壊力と殺傷力について、私はある程度の知識をもっていた」「しかし、被爆者の悲惨と苦悩について、私はあまりにも無知であった」 「長崎には、1945年8月9日11時02分で止まった時と、その時を基点とする16年に及ぶ日の移ろいがあった。この二つの時を見渡さなければ、原爆被害の実像はつかめない」 以降、聖地を巡礼するかのように、「オモリのような」疑問を解決するため、毎年のように長崎を訪れ、ついには被爆者の伴走者として、約半世紀にわたる撮影を続けることとなった。 長崎での撮影と並行しての、昭和44年(1969年)の米軍基地の撮影をきっかけとした沖縄滞在、そこを基点として東南アジアに越境し撮影した伝説的写真集

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