旅のライブ情報誌 「Please(プリーズ)」6月号
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1ポケットから出現するもの ときどき、夫が背広のポケットにお菓子を入れて帰ってくる。おまんじゅう、チョコレート、クッキー、パイ、おせんべい――。お菓子は多種多様で、たいていの場合、個包装されている。が、されていない餅菓子とか焼菓子とかがティッシュにくるまれて入っていることもたまにあり、ポケットのなかでぺたんこになっていたり、粉々になっていたりするそれらはかなりシュールだ。 子供のころ、友達の誕生日パーティに招かれると、多くの場合、テーブルにお菓子が置いてあった。装飾的な器(白鳥形だったりする)やカゴに入れられたそれは、なぜかたべ尽されるということがなく、かわいらしい紙ナプキンなどに包んで、帰りがけに持たせてもらったものだった。夫のポケットからお菓子がでてくると、私はそんなことを思いだす。「これ、どうしたの」と訊いても、元来無口な夫は「もらった」としかこたえず、「誰に」と訊いても「わからない」とか「会社の人」とかとしかこたえないのだが、それらが誰かの旅行土産であるらしいことは想像がつく。ゴールデンウィークとかお盆とか年末年始とか、長い休みのあとともなると、両方のポケットをいっぱいにして帰ってくる。 どなたからのお土産なのか、私にはわからない。でも、夫のポケットからちんすこうがでてくると、あ、誰か沖縄に行ったのね、と思い、白い恋人やロイズのお菓子がでてくれば、北海道に行ったのねと思う。明太子味のものなら博多だろうと想像し、たこやき味なら大阪で、レモン味なら広島だろうと想像する。南部せんべいなら岩手に行ったのだとわかるし、坂角のえびせんべいなら名古屋だとわかる。知らないお菓子の場合でも、製造元の表示を見れば、岐阜だわ、とか、宮崎なのね、とか判明する。ハワイとかカナダとか韓国とかスペインとか、外国のお菓子の場合もある。 夫のポケットから忽然と出現するそれらのお菓子をたべながら、顔も名前も知らない人たちの、幾つもの旅を私は想像する。出張かしら帰省かしら新婚旅行かしら。いい旅だったかしらおいしいものをたべたのかしら、親孝行をしたのかしら。スキーかしら山登りかしらサッカー観戦かしら。いずれにしても、お土産があるということはその人たちは無事に旅を終え、会社にでてきているわけで、子供のころの誕生日会を彷彿とさせるお菓子の小山を前にして、私はしみじみしてしまう。人は、実にいろいろなところに移動するものである。江國香織1964年(昭和39年)東京生まれ。1987年『草之丞の話』で『小さな童話』大賞、1989年(平成元年)『409ラドクリフ』でフェミナ賞、1992年『こうばしい日々』で坪田譲治文学賞、『きらきらひかる』で紫式部文学賞、1999年『ぼくの小鳥ちゃん』で路傍の石文学賞、2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、2004年『号泣する準備はできていた』で直木賞、2007年『がらくた』で島清恋愛文学賞、2010年『真昼なのに昏い部屋』で中央公論文芸賞、2012年『犬とハモニカ』で川端康成文学賞を受賞した。小説以外に、詩作や海外絵本の翻訳も手掛ける。旅ドロップ江國香織文=26

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