旅のライブ情報誌 「Please(プリーズ)」10月号
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●161416371797187318651549全国に禁教令キリスト教伝来キリシタン史時代区分島原・天草一揆大村藩と五島藩との間に百姓移住の協定成立信徒発見禁教高札撤廃17001600キリシタン(初期の日本人信徒)潜伏キリシタン仏教や神道の信徒(転宗した人々)カトリック信徒(カトリックに復帰した人々)Ⅰ始まりⅡ形成Ⅳ変容・終わりⅢ維持・拡大18001900●●●かくれキリシタン(潜伏キリシタン以来の信仰を続けた人々)やすまんだけし つひさ か 迫害下のキリシタン信仰は健気な祈りの輝きそのものであった。慶長18年12月(1614年1月)の全国禁教令以降、キリスト教はご禁制の宗教となり、表面的にはキリシタンは消えた。ただ信徒たちは、生命を脅かされる迫害下にあっても己を偽らずにひそかに信仰を守った。 この潜伏キリシタン(注)の最大の集住地が長崎県下の平戸・生月や外海、浦上、そこから移った五島列島である。 長崎県下の潜伏キリシタン信仰には微妙な差異が認められる。よく知られるマリア観音は外海・浦上で信仰の対象になっているが、平戸・生月では見られず「お掛つき そと めいきあつのみわらこっ かい(注)禁教期に信仰を守ったキリシタンを「潜伏キリシタン」といい、明治6年(1873年)の信仰黙認以降も先祖伝来の信仰を守り続けた信徒を「かくれキリシタン」として区別する。画像提供/21ページ:2平戸市生月町博物館・島の館21長崎県下の潜伏キリシタン天地始まりの聖地・外海1マリア観音像。中国・福建省徳化窯産(外海・垣内 個人蔵)。2生月のお掛け絵「受胎告知」。大天使ガブリエルが聖母に神の子の懐胎を告げる聖画。①原城跡②春日集落と安満岳(平戸の聖地と集落)③中江ノ島(平戸の聖地と集落)④天草の﨑津集落⑤外海の出津集落⑥外海の大野集落⑦黒島の集落⑧野崎島の集落跡⑨頭ヶ島の集落⑩久賀島の集落⑪奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)⑫大浦天主堂③①②⑦⑧⑥⑨⑩④⑪⑤⑫21離島などに移住け絵」と呼ばれる聖画がご神体である。 何故、同じ潜伏キリシタンでありながら信仰のあり方に違いが見られるのか。はっきりしたことはわからないが、平戸領は慶長4年(1599年)の早い段階で禁教になったことでザビエル以来のイエズス会の影響が色濃く残った。それに対し、外海・浦上のキリシタン信仰には、イエズス会以降に入ってきたフランシスコ会などの影響が考えられる。つまり潜伏に入る際、どの修道会の指導をうけていたかに原因があったようである。  外海は、遠藤周作の『沈黙』の舞台となったことでも有名である。遠藤は禁教下の外海に架空の集落トモギ村を設定し、日本に潜伏したセバスチャン・ロドリゴ神父を集落の信徒たちが山中の炭小屋にかくまう。神父は、昼間は蚤が這い回る藁の中に身を隠し、朝がた山を登ってくる2人の信徒の告悔をききオラショ(祈り)をあげる。万一官憲に見つかれば死罪、それでもなお神父をかくまう。神への篤い信仰とパライソ(天国)への希求、 潜伏キリシタンの移動と世界遺産の12の構成資産

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