旅のライブ情報誌 「Please(プリーズ)」10月号
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1ロシアの書道 いまの子供たちも、学校で書道を習っているのだろうか。私が子供だったころには毎週書道の授業があり、それのある日は教科書やノートや筆箱といった普段の荷物に加えて、硯と墨と筆と文鎮と、半紙の下に敷くフェルト布がセットになった、持ち歩くとカタコト音のする、たいていの場合女子が赤で男子が青の外装の、専用の鞄を持って通学した。いまならば私は、こんなに重いものを全部いっぺんには持ち歩けない、と、断固抗議するだろう。が、当時は文句も言わずに(場合によっては体操着や体育館履きまでいっしょに)持っていたのだから、子供というのは立派な生きものだ。 そんな遠いことを思いだしたのは、モスクワで、ロシアの人たちの書道の展示を見たからだ。その人たちは日本文化に興味があり、日本語を学んだり折り紙を折ったり、抹茶を点てたりしているという。 展示自体は、ちょうど小学校の教室のうしろの壁を思いださせる規模と風情で、墨汁を使って書かれた文字が黒々としていた。メインの文字はどれも堂々とした出来映えで、それなのに、小筆を使ってカタカナで左端に書かれたそれぞれの名前――ミハエルとかタチアナとかナタリアとか――が揃って奇妙に弱々しく、遠慮がちでおぼつかなげなのが印象的だった。 メインの文字は、日本語のテキストのなかから好きな言葉を選んで書いたのだそうで、圧倒的に〝愛〞が人気だった。次に〝両親〞と〝日本〞。おなじ言葉がずらりとならんでいた。〝世界〞と〝友人〞も複数あった。〝平和〞も。そして――。それらのなかに、一つだけ、〝大小〞と書かれたものがぽつんとあった。私は立ちどまり、しばらくそこから動けなくなった。なぜ、〝大小〞? 文字の形が気に入ったのだろうか。それとも音の響きが?  あるいは書いた人にとって、何か特別な意味を持つ言葉なのだろうか。わからない。わからないけれど、ともかくその人はそれを選んだのだ。 いいなあ、と思った。いいなあ、〝大小〞。 その日ホテルに帰ってからも、翌日も、その翌日も、私はその言葉を思いだした。旅を終え、日本に帰ってからもたびたび思いだし、大小、と呟く。呟くたびにちょっと笑ってしまう。〝愛〞でもなく、〝両親〞でもなく、〝大小〞を選んだ人に、私はエールを送りたい。江國香織1964年(昭和39年)東京生まれ。1987年『草之丞の話』で『小さな童話』大賞、1989年(平成元年)『409ラドクリフ』でフェミナ賞、1992年『こうばしい日々』で坪田譲治文学賞、『きらきらひかる』で紫式部文学賞、1999年『ぼくの小鳥ちゃん』で路傍の石文学賞、2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、2004年『号泣する準備はできていた』で直木賞、2007年『がらくた』で島清恋愛文学賞、2010年『真昼なのに昏い部屋』で中央公論文芸賞、2012年『犬とハモニカ』で川端康成文学賞を受賞した。小説以外に、詩作や海外絵本の翻訳も手掛ける。旅ドロップ江國香織文=30

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