旅のライブ情報誌 「Please(プリーズ)」12月号
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ウロクトン6132画像提供:韓国観光公社画像提供:韓国観光公社45■金忠善をたたえて、春と秋に一族が集まって祭祀が行われるという鹿洞書院。■2012年にオープンした友鹿洞の韓日友好館。金忠善に関する資料展示の他、3D映像、茶道体験もできる。■韓方薬を混ぜたタレにつけ込んだ大邱の韓方焼肉。当帰などの葉野菜と一緒に。 三国時代は新羅にあり、現在韓国第3の都市である大邱。韓方薬の市場があることでも知られる。 市内から20キロほどの郊外に、日本人が始祖という村がある。豊臣秀吉の文禄・慶長の役の際、加藤清正の配下に沙也可という若武者がいた。沙也可は釜山に上陸した後、部下を連れて朝鮮側に降伏。儒教に傾倒し、朝鮮に憧れを持っていたのではないかといわれている。その後朝鮮軍で活躍し、英雄となって帰化。金忠善の名を賜り、居を構えたのが大邱郊外の友鹿洞だった。今も村には、その一族が暮らしているそうだ。 釜山の西を流れる洛東江河岸に栄えた伽耶は、日本では伽羅の名でも呼ばれた小国家群だった。その中心が釜山港から車で1時間ほどの金海で、金官伽耶と呼ばれていた。国の誕生に神がかった伝説が残っている。この地にそびえる神聖な山からある日神の声が聞こえ、9人の村の支配者が呼ばれた。彼らは六つの卵を授かり、その卵から6人の男児が生まれた。最初に生まれた子が金官伽耶の祖、金首露。彼は体格がよく、150年生きたという。王は他の国々と交流し、インドの姫を王妃に迎えた。韓国最初の国際結婚といわれている。王の陵墓はいまも人々に大切に守られ、年に2回墓前で大祭が行われている。ノクドンソウォンスロ123■卵から生まれ、150年生きたという伽耶の始祖・首露王の陵墓。■陵墓の前には馬、羊、虎の像が対で向き合っている。45キムチュンソンナクトンガンキムスロカヤウロクトンノクドンソウォントウキ韓方の街から行く日本人・沙也可の村九州と縁ある忘れられた小国儒教と仏教文化が残る流通の要大邱テグ대구Daegu九州と交流した伽耶国の中心金海キメ김해Gimhae

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