旅のライブ情報誌 「Please(プリーズ)」1月号
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239歴史博物館こころピアでは金栗四三の人生すごろくを200円(税込)で販売している。★2019年1月11日(金)、和水町に「金栗四三生家記念館」と「金栗四三ミュージアム」が、1月12日(土)、玉名市に「大河ドラマ館」がオープン予定。910117865参考文献:「金栗四三 消えたオリンピック走者」佐山和夫著/潮出版社、「金栗四三の生涯」/洋泉社「マラソンの父」と呼ばれてど いつ出身校の熊本県立玉名高校校庭に立つ四三の銅像。昭和44年に建立。玉名市立歴史博物館こころピア 玉名の歴史や金栗四三の展示コーナー(改修中)がある。企画展観覧料/一般300円、大学生200円、高校生以下無料 □営9時~17時(入館は16時30分まで) □休 月曜(祝日の場合は翌日)、祝日の翌日(日曜を除く)、12月28日~1月4日 ※12月27日まで改修工事のため休館。 ☎0968(74)3989 玉名市岩崎117 オリンピックでは不運な四三だったが、その経験は指導者として遺憾なく発揮された。 大正5年(1916年)、第6回ベルリン大会が中止となった後に、神奈川県師範学校や独逸学協会学校(現・獨協中学校)などで教壇に立ちながら学生たちと共に走り、マラソンの普及に努めた。また、高地トレーニングをいち早く導入し、下関〜東京間、日光〜東京間など各地を走破。チームで走る駅伝スタイルを考案し、日本初の「東海道五十三次駅伝競走」を企画。今日お馴染みの「箱根駅伝」も彼のアイデアで、大正9年に第1回大会を開催した。  第8回パリ大会を最後に競技生活を退いた四三は、今度は女学校で教えながら女子スポーツの振興に励んだ。その後、熊本でマラソンを広めると再び上京。幻に終わった昭和15年開催予定の第12回東京オリンピックの準備に奔走する。暗い時代を経て迎えた戦後は、「熊本県体育協会」をつくり、昭和22年には「福岡国際マラソン」の前身となる5昭和22年(1947年)第1回金栗賞朝日マラソン、熊本県庁前のスタート風景。昭和29年までは毎年、開催場所を変えた。第9回大会から名称が「朝日国際マラソン」に。昭和49年(1974年)の第28回大会から「福岡国際マラソン」になった。61960年の熊本国体では聖火台に点火。7ストックホルム大会100年の記念マラソンで、四三と同じ「822」のゼッケンをつけてゴールインする、ひ孫の蔵土義明さん。8ストックホルム大会100年の顕彰銘板。「第1回金栗賞朝日マラソン」を熊本で開催。昭和28年には「第57回ボストンマラソン」の監督として日本チームを率いた。 今日、「金栗杯」の名の付くマラソン大会は各地で開かれ、その中には「金栗杯玉名ハーフマラソン」など彼が手掛けたレースが基となったものも少なくない。92年の生涯をかけてスポーツの楽しさを語り、人を育てた四三。子どもたちに囲まれて満面の笑顔で走る姿からは、明るく実直な人柄が伝わってくる。  そんな彼の偉業を顕彰するかのように、2012年7月、ストックホルムで100年記念マラソンが開かれた。四三が途中棄権した当時の再現レースで、日本からは四三のひ孫の蔵土義明さんが参加。沿道にあふれる声援を受けて見事完走した。蔵土さんによれば、四三を救助したペトレ家との交流は今も続いていると言う。伝説のランナーの思いは時を超え、受け継がれている。

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