旅のライブ情報誌 「Please(プリーズ)」1月号
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4ⒸK.P.V.Bロシア皇帝の宮殿だったエルミタージュ美術館。SATSUMAkey wordパリ万博慶応3年(1867年)、フランスのパリで開催。日本が初めて公式に参加した国際博覧会。日本からは江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩のそれぞれが出展。薩摩藩は「薩摩琉球国」という名で登録。あたかも独立した国のような印象を与えた。この博覧会で薩摩焼は人気を集める。企画から作品収集まで約2年半かけて準備に奔走した、学芸員の深港恭子さん。「薩摩焼」をテーマに国内外の著名な美術館から250点余りが集結。これまでほとんど外に出たことのなかった薩摩焼が海外から初の里帰りをする。観覧料/一般1,000円、高大生600円、中学生以下無料会場/黎明館2階 9時~18時(入館は17時30分まで)ニコライ2世と島津忠義「華麗なる薩摩焼」明治24年(1891年)、当時皇太子だったニコライ2世は国賓として来日し、鹿児島を訪れる。出迎えたのは28歳年上の旧薩摩藩主・島津忠義。二人は親交を深め、忠義はこの時、一対の薩摩焼の花瓶を贈り、仙巌園でもてなす。その後、大津事件に遭遇したことを知ると忠義は直ちに上洛し、ニコライを見舞った。錦手藤図象耳花瓶(右)と、錦手瓢図象耳花瓶(左)。イギリス ヴィクトリア&アルバート博物館©Victoria and Albert Museum, Londonパリ万博に出品した対の花瓶 「華麗なる薩摩焼」展がどれほどレアな企画であるか、学芸員の深港さんに伺った。何しろこれまでほとんど目にすることのできなかったパリ万博の出品作など、幕末から明治期に海外に出た薩摩焼が約50点も集結するのである。それらをイギリス、ロシア、アメリカ、オーストリアなど各国を巡って掘り起こした深港さん。最初はどこに何があるのかさえわからない状況だったが、不思議と糸はつながり、奇跡は起きた。 「世界が評価した薩摩焼とは何か。当時の職工が挑んだ最高品を、ここ鹿児島で見る意味は大きいと思います」と彼女は語る。 そもそも薩摩焼は、今から420年前、朝鮮から渡来した陶工たちによって誕生した。やがて江戸初期に白薩摩が生み出され、御用品として発展する。さらに幕末には、藩の近代化事業の中で輸出に向けて改良を重ね、そうして慶応3年(1867年)、日本が初参加したパリ万博で、満を持して出品。一躍脚光を浴び、見事海外デビューを果たすのである。 薩摩焼のすごいところは、最初は外国から最新の技術を持ち込み、ひたすら自分たちの感性で磨き、修練し、自らのアイデンティティを問い続け、やがて「SATSUMA」という名で海外に出て席巻する点にある。会場では、そんなダイナミックな変遷の物語も堪能できるのだ。19世紀の作品、「錦手牡丹飾秋草図双耳香炉」。(〈公財〉長島美術館蔵)牡丹の装飾が華やかな香炉201812252019224今だけの必見展覧会!SATSUMAkey word17世紀前半。鹿児島県指定有形文化財。(鹿児島市立美術館蔵)白釉茶碗 火計手ひばかりでぞうみみひょうずふかみなとぼたんかざりあきくさず巡回なしの鹿児島だけの展覧会

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