旅のライブ情報誌 「Please(プリーズ)」1月号
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5167893245SATSUMA再発見■ろくろから絵付けまで分業で行われる、沈壽官窯。■■十二代の時代には、透かし彫りや浮き彫りなど江戸時代からあった彫刻技法を確立。今日の礎を築いた。■「華麗なる薩摩焼」展について、「空前絶後の展覧会」と語る、十五代。黎明館では2/1~2/11、明治維新150周年記念「薩長土肥現代の陶芸」展も開催され、酒井田柿右衛門、今泉今右衛門さんたちも出品。■沈壽官窯の敷地にある「沈家伝世品収蔵庫」には、代々伝わる作品が紹介されている。■明治時代、積極的な海外輸出に挑んだ十二代沈壽官。■古いトランクの中から出てきた、島津忠義が十二代に特注しニコライ2世へ贈った花瓶の下絵。■十二代による生き生きとした表情のフィギュア。■明治36年(1903年)に開園した日比谷公園をモチーフに、公園という新しい概念に着目した作品。 明治になり藩営から民営へ移った薩摩焼は、明治6年(1873年)のウィーン万博で評価が定着し、大輸出時代を迎える。  その中心となったのが、十二代沈壽官だ。藩営時代から引き続き工場長を務めた彼は、名工にして名プロデューサー。たいへん胆力のある人で、旧藩主導の民営工場が潰れると、路頭に迷う職人を救うべく、自ら玉光山陶器製造場(現在の沈壽官窯)を創業。東京支店を出して輸出に勤しみ、内外の博覧会にも積極的に参加。他産地の模造品から守るため、薩摩伝来の独自の技法をより発展させ、今日の礎を築いた。当代の話を伺うと、とりわけ十二代の手掛けたフィギュアに時代の空気を感じると言う。前歯の欠けた漁師のおじさんや猿回しなど、庶民の日常をユーモアたっぷりに切り取る、眼差しの温かさ。「これは工芸における維新です。明治維新は政治や経済だけでなく、芸術の世界にも確かにあった」と語る。 その源泉とは? 「幕末に起きた、キリスト教的社会との邂逅にあったと思います。今まで無常観の中で暮らしてきた日本人が、異質なものと出会い、調和した時に生まれた新しいエネルギー。それこそが生きるんだ!という維新の根っこにあった原動力ではないでしょうか」 生きるんだ!と果敢に世界に挑んだ十二代。その姿は、自らの作品に「命の輝き」を込める現代の十五代と重なって見える。123456798ぎょっこうざんかいこういそ生きる力にあふれる明治期十二代の作品

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