旅のライブ情報誌 「Please(プリーズ)」2月号
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23456 昭和3年(1928年)、泉鏡花を囲む九九九会が発足した。岡田は当初からの中心的メンバー。美人画の代表作と目される《あやめの衣》(昭和2年)の「あやめ」は、鏡花の幻想小説『草迷宮』(明治41年)中の女の名として登場し、さらに鏡花自身が菖蒲を自身の代表句に読み込むなど、ここにも岡田と鏡花を結ぶ世界を感じ取ることができる。和様化する洋画の世界4昭和7~8年頃のアトリエ。足の踏み場もないほどの収集品。56東京都渋谷区恵比寿のアトリエは、2018年春、佐賀市城内の佐賀県立博物館の横に移築された。アトリエに併設の女子洋画研究所では三岸節子、いわさきちひろが学んだ。佐賀県立美術館にて3月16日(土)~5月6日(月・振休)まで「岡田三郎助の花物語」展を開催。観覧無料。☎0952(24)3947昭和14年 油彩・画布 91.2×65.1cm 黒川古文化研究所蔵女性は岡田晩年の専属モデル北村久子。正面の笑顔より襟元から横顔をのぞきこむところに岡田美人画の妙味がある。病身を押し粗い筆触を残し絶筆となる。昭和8年 油彩・画布 53.0×65.1cm 個人蔵 長野県北信地方の桃の里は薄桃色の霞が棚引くように見える。画家仲間とスケッチ旅行で訪れた岡田がこの地を「丹霞郷」と名付けた。額縁には古裂を用い和風の趣を出している。丹霞郷たん か きょう編物 「美人画の岡田」と称されるが遺作の半数は風景画であった。中でも磐越から信州、さらに伊豆はたびたび訪れた。また静物画の中では特に薔薇を描くことが多く、さらに和風趣味の一つとして、額縁に古裂などを使用した。そうした和様を示すものとして日本画の顔料である岩絵具で描いた作品もある。それらは風景画が多く、とくに水辺の柳は岡田が好んだ画題であった。 昭和5年、工芸美術視察のために欧州に出張する。東欧、バルカン諸国を巡り古裂を求める「裂の旅」であったが、神戸からの出港では、別居状態の八千代夫人を同行するという和解の旅でもあった。しかし、夫人をパリに残し岡田は一人帰国する。晩年は、病気療養中でも病室で薔薇の絵を描き、さらには病院を抜け出て富士山麓、河口湖畔まで出かけることもあった。 昭和12年(1937年)、岡田は藤島武二、横山大観らと共に第1回文化勲章を受章する。報せは病床の紅いシクラメンの傍らで受け取る。昭和14年、自宅にすっかり引きこもる日々となったある暑い一日、窓辺で編み物をする婦人を描いた。戸外の陽の光と室内の仄暗い陰の移ろうあたり―あわい―を生涯愛した画家の最後の作品となった。享年71、和洋の融和を極めた生涯だった。しらほのきれ画像提供/1234佐賀県立美術館くうくうくう

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