旅のライブ情報誌 「Please(プリーズ)」3月号
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21123456かもう 「樟脳」と聞いて、懐かしさを覚えるのは50代以上だろうか。スーッと鼻に抜ける、清涼感。天然樟脳の香りは、やさしい。衣類や雛人形の虫よけにと使われていた方も多いと思う。 樟脳は、樟の精油成分だ。 樟の幹や枝、葉、根など樹木全体から放たれる芳香は樟脳によるもので、「カンファー」あるいは「カンフル」とも呼ばれる。かつては強心剤(カンフル剤)としこしきほう ろくてい そう かんしょ ばん し5維新後、樟脳事業と生糸事業の払い下げを受け、三菱の基礎を築いた岩崎弥太郎。6土佐の樟脳製造装置。明治22年(1889年)。画像提供/5国立国会図書館、6国際日本文化研究センター1樟脳はかつて着物の防虫に欠かせなかった。2昔懐かしい、樟脳舟。セルロイド製の舟の後ろに樟脳を取り付け、水上を走らせる。3「焙烙式」による樟脳づくりの図。1754年刊の『日本山海名物図会』。4鹿児島県の蒲生八幡神社境内にそびえ立つ樟は、樹齢約1,500年、根周り33メートル、目通り幹囲24.22メートル、高さ約30メートルと日本で一番大きな樟。から生まれる天然樟脳樟ても用いられ、また血行促進や鎮痛、消炎作用があることから、現在も「メンソレータム」など医薬品の成分に含まれている。 樟脳の歴史は古く、一説には西暦600年ごろ、アラビアで貴重薬として利用されていたという。また『ものと人間の文化史159 香料植物』(吉武利文著)によれば、中国では1225年ころの『諸蕃志』の中に、すでに輸出品として樟脳の名があることが指摘されている。樟の生育地は世界でも限られ、中国の揚子江以南、台湾、韓国の済州島、そして日本の関東以西の温暖地に見られる。特に九州には多く、神社の境内などで馴染みが深い。  日本で樟脳が最初に生産されるようになったのは、寛永年間(1624〜1644年)、薩摩藩においてといわれる。 それを支えたのが、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に連行され、鹿児島の苗代川(日置市)に定住した陶工の鄭宗官だった。 当時の製造法は「焙烙式」で、樟の木片を入れた甑の上に素焼の鉢(焙烙)を逆さに被せて蓋をして蒸し、鉢の内側に付着した結晶を採るというものだった。そのためにも効率よく樟脳を得られる素焼鉢が必要で、その製造技術は鄭家にのみ伝承された。こうして薩摩藩では樟脳づくりを事業化し、出島を通じて大量の樟脳が医薬品としてヨーロッパへ輸出された。それらは「サツマカンフル」と呼ばれて珍重されるのだった。 一方、薩摩と同様に樟が自生する土佐藩でもまもなく樟脳製造が本格化し、万延元年(1860年)には「土佐式」という画期的な製造法が発明される。 いわゆる水蒸気を吹き込んで行う水蒸気蒸留法で、素焼鉢の代わりに冷却層を用いることで、生産量も急増。樟脳は藩の重要な特産品となる。後に三菱財閥を起こす岩崎弥太郎は、幕末、土佐藩の役人として樟脳貿易で莫大な利益を上げ、軍艦や武器を買うなど大活躍するのである。

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