旅のライブ情報誌 「Please(プリーズ)」3月号
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22海外セルロイド用01,0002,0003,0004,0005,000(1,000斤)明治35年明治37年明治39年明治41年明治43年大正元年大正3年大正5年大正7年大正9年大正11年大正13年大正15年昭和3年昭和5年昭和7年昭和9年昭和11年国内セルロイド用海外精製用国内精製用134256画像提供:1アステラス製薬株式会社、2第一三共ヘルスケア株式会社、3庄村福夫、4鈴木商店記念館5「内野樟脳」の内野和代さん。6原木を運ぶための馬車。昭和40年代前半の様子。 江戸時代から昭和にかけて樟脳は日本の主要な輸出品だった。 平戸のオランダ商館の貿易記録に初めて樟脳が出てくるのは寛永10年(1633年)。当時は金銀に次ぎ、銅と並ぶ人気だった。幕末から輸出量はさらに増え、樟脳が維新を支えたともいわれる。香料や防虫、医薬品などの用途のほかに、やがてセルロイドが発明されると、原料として盛んに欧米に輸出されるようになる。特に日清戦争後、台湾を植民地にすると、明治32年(1899年)、樟脳の専売制が発令され、日本にいっそうの巨利をもたらすのだった。 このころ樟脳精製の近代化も進み、三井、三菱などの大手資本をはじめ、多くの製造会社がしのぎを削った。なかでも注目すべきは、鈴木商店の金子直吉と「藤澤樟脳」で知られる藤澤商店の存在である。大番頭の金子直吉は台湾の豊かな樟脳に着目。台湾総督府民政長官の後藤新平に近づき、当時廃棄されていた樟脳油の販売権を獲得することで、一介の洋糖商だった鈴木商店を、売上高が国用途別粗製樟脳の販売高の推移(『クスノキと樟脳 藤澤樟脳の100年』より)やま市で続けられる天然樟脳づくりみのGNPの1割にも届く総合商社へと成長させるのである。 また、明治30年に発売された藤澤樟脳は、今日まで続くロングセラー。当時としては画期的な光沢のある無色透明の精製樟脳の生産に成功したことで、新しく家庭用衣服防虫剤としての道を開いた。 金子直吉と藤澤商店の藤澤友吉は後に手を結び、大正7年(1918年)、存在した7社で合併し日本樟脳株式会社を創立。国内初の精製樟脳会社として、輸出拡大を狙った。ちなみに大正5年、日本は世界の樟脳需要の7割以上を占める最大の生産国となるのだった。 ところが、大正時代末に合成樟脳が生まれ、また戦後の1950年以降、セルロイドに代わってプラスチックが出現すると、樟脳の生産は激減していく。 そうした中、全国で唯一長い間、天然樟脳をつくり続けてきたのが、福岡県みやま市瀬高町の「内野樟脳」である。創業は江戸時代の終わり。2010年に急逝された内野清一さんの跡を継ぎ、現在は妻の和代さんが5代目として代々継承してきた水蒸気蒸留法を守る。 清一さん亡き後、せっかくの技術を絶やしてはもったいない、と地元の方が『天然樟脳を守る会』1明治27年(1894年)藤澤友吉、大阪に藤澤商店を創業。2明治36年(1903年)に大阪で開催されていた「第5回内国勧業博覧会」2等賞受賞と書かれた藤澤樟脳のパッケージ。第一三共ヘルスケアが一般用医薬品事業を承継し、現在でも販売している。3旧・日本樟脳株式会社台北支店台北工場。1957年に操業停止し、建物は酒の公売局の倉庫として使われた。4台湾樟脳油の販売権を獲得した鈴木商店の金子直吉。

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