旅のライブ情報誌 「Please(プリーズ)」3月号
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1にこやか問題 二晩続けてそのバーに行ったのは、女性バーテンダーが魅力的だったからだ。数年前の、セントルイスでのことだ。彼女は白人で背が高く、髪は茶色で手が大きかった。小さな店だとはいえ道にもテーブルをだしていたし、向うの人は大人数でやってきて、席がなければ立ったまま飲んで帰って行ったりもするので、かなり忙しいはずだが彼女は二晩とも一人で、注文をとりお酒をつくり、お金を受けとりテーブルを拭きグラスを洗い、そうしながら店全体に目を配っていた。そのてきぱきした働きぶりや無駄のない動作、落着いた物腰のすべてが好もしかったのだが、私が目を奪われた彼女の最大の特徴は、笑わないことだった。無愛想というわけではない。客が冗談を言えば、儀礼上かすかに口角を上げるくらいのことはする。が、それはあくまでも形であり、形にすぎないことを、自分にも周りにもあえて示しているかのような態度なのだった。でもその一方で、彼女はとても生気に満ちたいたずらっぽい目と大きな口を持っていて、家族や友人や恋人といるときにはよく笑い、鮮やかな、いっそあけっぴろげといっていいような笑顔を見せる人に違いない、という想像ができた。私は彼女のそんな顔を見てみたいと思い、見ることのできる人たちに嫉妬さえ感じ、ということはこれは、もし私が男性なら恋に堕ちた瞬間ということになるのだろうと思った。誰かの笑顔を見たいと願うのは、とてもプライヴェートなことだからだ。 にこやかというのは、日本の社会のなかで、いいこととされている。子供のころからなぜか笑顔が奨励され、いつもにこにこしていましょうと言われたりする。接客業となればなおのことで、笑顔は必要なものだと、なんとなく刷り込まれてしまっている。私自身も、親しくない人と話すときに、意味なくにこやかになって(ということはつまり、愛想笑いをして)しまうことがある。あなたに対して敵意はありません、友好的にやりたいです、という意思表示のつもりではあるにせよ、恥しいことだったと、セントルイスで彼女に恋をした(?)あとで反省した。 それにしても、世のなかではなぜこうもにこやかがよしとされているのだろう。もしほんとうに〝いつもにこにこ〞している人がいたら、それはかなり不気味だ。笑顔というのはもっとプライヴェートで、ありふれてはいても特別で、輝かしく幸福なもののはずなのだから。江國香織1964年(昭和39年)東京生まれ。1987年『草之丞の話』で『小さな童話』大賞、1989年(平成元年)『409ラドクリフ』でフェミナ賞、1992年『こうばしい日々』で坪田譲治文学賞、『きらきらひかる』で紫式部文学賞、1999年『ぼくの小鳥ちゃん』で路傍の石文学賞、2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、2004年『号泣する準備はできていた』で直木賞、2007年『がらくた』で島清恋愛文学賞、2010年『真昼なのに昏い部屋』で中央公論文芸賞、2012年『犬とハモニカ』で川端康成文学賞を受賞した。小説以外に、詩作や海外絵本の翻訳も手掛ける。旅ドロップ江國香織文=35

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