旅のライブ情報誌 「Please(プリーズ)」3月号
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12344■日没後の門司港駅舎。かつて多くの人々でにぎわった「みかど食堂」があった2階にも、温かい明かりが灯る。■大正3年の建設当初からある「水飲み場」。戦後、多くの復員兵や引き揚げ者が門司に降り立ち、安堵の思いで喉を潤したことから、「帰り水」と呼ばれるようになった。■路線案内図もレトロな雰囲気。 大正時代の人々は、こんなにも伸びやかな空気の中で、旅を愉しんだのか。 この春、6年半に及ぶ保存修理工事を終え、グランドオープンする門司港駅。大正3年(1914年)の建設当時の姿によみがえったその広々と明るい威容を前にすると、あらためて駅が、心躍らせる特別な場所であることを思う。 何よりここは、「九州の玄関口」を誇った場所なのである。九州の鉄路の起点であり、終点の駅。「ネオルネサンス様式」と呼ばれる大正ロマンあふれる駅舎からは、かつて神戸や横浜と並ぶ日本三大港の一つとして栄えたこの地の矜持も伝わってくる。 明治24年(1891年)、「門司駅」の名で開業した、門司港駅。やがて駅舎が手狭になったことや、対岸の下関とを結ぶ関門連絡船の乗降に便利なように、約300m海沿いの現在の場所に建て替えられたのだった。 かつて駅舎には等級があり、門司港駅は東京駅と同じ最高ランクの一等駅だった。設計は鉄道院九州鉄道管理局工務課とされ、当時の標準的な一等駅のつくりを伝える唯一の建築という。 その後、駅舎は時代とともに姿を変えてきたが、今回の復原で、外壁はモルタルを塗って石張り風に。また変色した屋根には黒色の天然石を葺き、さらに正面にあった車寄せの庇は取り除いて、竣工当初の立ち姿に戻した。一方、長年シンボルとして親しまれた大時計は、建設当初にはないものの、その価値を尊重して残されることになった。 第61代駅長の松尾宜彦さんによると、工事過程でさまざまな事実が明らかになったという。 例えば、宮内庁に竣工時の設計図が保管されていたことや、地元の民家に、「貴賓室」の壁紙が残っていたことで細部の再現まで可能になったこと。また、これまで戦災を免れたとされてきたが、実は屋根に39発もの機銃痕が残っていたこと。さらに木造だが、要所では八幡製鉄所製の鉄骨も使われ補強されていた。 「こうしたかけがえのない歴史ある文化財とともに、ここから元気を発信したい」と松尾駅長。 構内には、九州鉄道の起点を表す「0哩標」をはじめ、建設当初から設置されている水飲み場など、見どころも多い。職員の制服も金ボタンに詰め襟姿。列車の発着のたびにマイクで案内するなど、レトロ感いっぱいのもてなしで盛り上げている。門司港駅の第61代駅長、松尾宜彦さん。MOJIKŌ STATION grand opening!123たのきょうじひさしたかひこゼロマイル105年前の駅舎が壮麗によみがえる

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