旅のライブ情報誌 「Please(プリーズ)」6月号
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134254■大手門を進んですぐの、「しあわせ杉」。4本の杉に囲まれた中央に立つと、よいことが…。■飫肥杉が茂る飫肥城内。明治維新後に植林された。■雨の多い飫肥は苔の宝庫。■飫肥城下町保存会事務局長の後藤廣史さん。■表情豊かな城の石積み。 一つ一つ、美しさを競うように連なる石垣や、きちんと手入れされた家々の生け垣。「こんにちは」とすれ違いざま、ぴょこんとお辞儀をするランドセル姿の子どもたち…。長い歴史に培われた飫肥の町を歩くと、折り目正しい人々の暮らしが伝わってくる。 古くは平安時代の『和妙類聚抄』にも見える、飫肥の名。城下町が整備されたのは近世の初め、伊東祐兵が入ってからで、幕末まで5万1千石の飫肥藩として栄えた。その町割りは明治以降もほとんど変わることなく維持され、1977年(昭和52年)には、九州初の国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。 町の北部、最も高台にある飫肥城跡から南の城下へと、「あゆみちゃんマップ」(7ページ参照)を手に、飫肥城下町保存会の後藤廣史さんに案内していただいた。保存会発行のその地図には、施設や加盟店の特典も付いている。 「お城だけでなく、町を回遊していただこうとつくりました」と後藤さん。聞けば、住民の町への思いは深く、大手門をはじめ飫肥城の復元や白壁の続く本町商店街の景観づくりもこうして支えてきたという。それは今に至り、城内の清掃や鯉の餌やりなども自発的に行われている。 そんな地元の人たちが敬愛してやまないのが、飫肥出身の外交官・小村寿太郎だ。「小村記念館」には等身大のパネルも展示され、このような小柄な体格で世界と対峙したのか、とあらためて彼の偉業を思った。12453わみょうるいじゅうすけたけしょうこむらじゅたろうたいじひろし小京都の美を発見する楽しみ

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