旅のライブ情報誌 「Please(プリーズ)」5月号
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2鍋島直茂像。直茂は主君の龍造寺政家に代わり領国の政務を担った。りゅうぞうじまさいえ2 長崎歴史文化博物館は、かつての長崎奉行所立山役所の敷地に建てられている。長崎奉行所は、最初は本博多町(現在の万才町)に設置され、次いで外浦町(現在の江戸町)に移され、ここは現在発掘調査が進行中の旧県庁跡地にあたる。そして1673年(寛文13年・延宝元年)、立山の地に新たに建設した奉行所が完成し、当時2人制だった長崎奉行のうち1人は旧来の外浦町の役所(西役所)に残り、もう1人が立山役所に移っている。以後、長崎奉行所はこれら二つの役所が並存した状態で幕末まで存続した。 長崎歴史文化博物館では、この立山役所のうち南半分に位置する、役所の公的な部分の建物を復元・公開しており、正門から正面玄関、さらに対面所・御白洲・書院などを見ることができる。復元にあたっては、博物館設置の前に行われた発掘調査の成1寛文長崎図屏風。1673年(寛文13年・延宝元年)に日本との通商を求めて長崎に来航したイギリス船リターン号が描かれており、また同年に完成した長崎奉行所立山役所の姿も見られる。長崎の町の様子を描いた絵図としては、現存する中で最も古い。長崎奉行所と長崎奉行果や、「長崎諸官公衙図」ほか奉行所の絵図などを参考にした。 ところで、来年2021年は、長崎開港から数えて450周年になる。1571年(元亀2年)、長崎の港に初めてポルトガル船が来航し、国際貿易港として開港した。当初建設された長崎の町はわずか6町だったが、その後急速に発展して80町にまで増加していく。 長崎は開港当時、キリシタン大名の大村純忠が領しており、純忠は1580年(天正8年)にこれをイエズス会に譲渡した。しかし1587年(天正15年)に豊臣秀吉が伴天連追放令を発したのに伴い、長崎は没収されて秀吉の直轄地となった。秀吉は佐賀の龍造寺氏の重臣鍋島直茂を代官に任じて長崎を統治させ、たて やまもと はか た まちおお むら すみ ただば て れんお しら すなが さき しょ かん こう が ずなべしまなおしげりゅうぞうじまん ざいほか うら まちまちかんぶんながさきずびょうぶ161

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