旅のライブ情報誌 「Please(プリーズ)」5月号
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19長崎湾長崎駅出島跡新地中華街長崎奉行所西役所跡●●●●長崎奉行所立山役所跡(長崎歴史文化博物館)●●●中島川眼鏡橋崇福寺風頭公園長崎市亀山社中記念館興福寺唐人屋敷跡料亭花月●●●●土佐商会跡●●●オランダ坂大浦天主堂グラバー園江戸時代中期の海岸線●初期の長崎奉行所跡●参考文献:『長崎奉行―江戸幕府の耳と目』外山幹夫著/中公新書(1988年)、『長崎奉行遠山景晋日記』荒木裕行・戸森麻衣子・藤田覚編/清文堂出版(2005年)、『世界航路へ誘う港市 長崎・平戸』川口洋平著/新泉社(2007年)、『長崎奉行 等身大の官僚群像』鈴木康子著/筑摩書房(2012年)、『長崎奉行の歴史 苦悩する官僚エリート』木村直樹著/角川選書(2016年)とう ろうまつだいらず しょのかみ やす ひでかわ づ い ずの かみ すけ くにとばふし み開港、そして幕末へ長崎の歴史の証人8910111312長崎歴史文化博物館は発掘された遺構をもとに立山役所の一部を復元(写真)。復元エリアの展示では長崎奉行の職務も紹介。来年(2021年)2月17日~5月16日まで特集展示室にて「長崎奉行所展」を開催予定。長崎歴史文化博物館 観覧料:常設展 大人630円、小中高生310円 ※企画展は別料金 □営8時30分~19時(最終入館は30分前まで) □休 第3月曜(祝日の場合は翌日) ☎095(818)8366 長崎市立山1-1-1灯籠を献上しており、その灯籠の石棹は現在、長崎歴史文化博物館に展示されている。 長崎奉行が執務した長崎奉行所は長崎の歴史を見つめてきた。長崎で起こった事件の数々は長崎奉行所の判決記録である「犯科帳」から一端を知ることができる。この犯科帳は約200年、145冊に及ぶ記録で、町人のけんかや騒動、抜け荷事件、キリシタン関係、外国人とのトラブルなど長崎ならではの事件、時にはシーボルト事件といった教科書でも取り上げられるような事件の判決も記される。事件の吟味は立山役所の御白洲にて行われ、時に事件の当事者たちもその場を踏んだ。 19世紀に入り、長崎では異国船来航事件が発生する。文化年間(1804〜1818年)にはロシア使節・レザノフ来航、イギリス船が不法侵入したフェー8シーボルトに関わった長崎の絵師・登与助(川原慶賀)に対する判決。9立山役所で行われた享保年間の大改造により埋められた溝から発掘された長崎ビードロのポッペン。長崎の現在と江戸時代の海岸線。明治37年頃の埋め立てまで、長崎駅周辺は海であった。トン号事件が発生し、後者は当時の長崎奉行・松平図書頭康英が自刃に及んだ。19世紀後半に入り、日本に対する海外からの開国要求は続き、1844年(天保15年)にオランダ国王の親書を携えたコープス一行が立山役所を訪れ、ペリーが来航した1853年(嘉永6年)にはロシア使節プチャーチンも来航、長崎奉行所にて幕府役人との面会がなされ、立山役所は外交の一舞台となった。 安政の開港後、長崎には新たに外国人居留地が造られるなど、町並みにも海外との交易のあり方にも変化が見られる。 ところが、時に幕末、日本全体では倒幕への動きが激化しており、1868年(慶応4年1月)鳥羽・伏見の戦いでの幕府軍敗戦の報を受け、当時の長崎奉行であった河津伊豆守祐邦は長崎を退去。主が不在となった長崎奉行所立山役所はその役目を終えた。と よ すけ かわはらけい が※新型コロナウイルス感染拡大防止に伴い、掲載情報が変更となっている場合がございます。最新情報は各お問い合わせ先にご確認ください。

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